社長挨拶
- 株式会社丸本組は、1946年の創業以来、おかげさまで75周年を迎えることができました。
これもひとえに取引先様、関係者各位の温かいご支援の賜物であると深く感謝申し上げます。
創業当時は、終戦の動乱期で資機材に乏しい中、創業者山本義一が「日本の復興と地域社会の礎を築く」という強い使命感を持ち、いち早く宮城県知事より建設業の許可を受け宮城を切り開く県土整備事業に参画してその一歩を踏み出しました。
その後、高度経済成長を背景にした国土整備事業に積極的に参画しながら今日まで歩み続けてまいりました。
しかし、平成23年3月11日、世界的に例の少ない東日本大震災が発生巨大地震、巨大津波が一瞬にして先人が築いためざましい発展を奪い去りました。
この地域が経験した未曾有の困難にひるむことなく、先人の知識と知恵を生かしながら、「空から見えるいい仕事」という企業理念のもと元気な故郷の復旧復興整備を通じて地域に貢献してまいります。
地域建設業に求められる役割が複雑化・多様化するなか、次の世代へ受け継がれていく新しい価値の創造を目指して丸本組にできること、丸本組に期待されることを着実に実現できるよう全社一丸となって波頭を切り拓き挑戦し続けます。
今後80年、100年とさらに続く株式会社丸本組となりますよう引き続き変わらぬご支援・ご愛顧をよろしくお願い申し上げます。
会社紹介
株式会社丸本組は「地域の安全、安心を守る。」という使命のもと、地域に密着し地域と共に発展してきました。
社会インフラ整備と土木・建設工事の必要性について、地域の方々を中心に理解を深めて頂きながら、これからも「空から見える、いい仕事」を目指し、頑張ってまいりたいと思います。
会社概要
創業 |
1946年(昭和21年)5月 |
資本金等 |
3億9,500万円 |
代表取締役社長 |
佐藤 昌良 |
完工高 |
130億円 (令和4年6月20日) |
従業員 |
184名 (令和4年6月21日時点) |
本社 |
〒986-0868 宮城県石巻市恵み野三丁目1番地2 |
電話 |
電話 0225(96)2222 FAX 0225(93)9168 |
営業品目
土木・建築工事の設計及び請負
特定建設業許可番号 宮城県知事許可(特-3) 第785号(許可年月日:令和3年9月1日)
【土木工事業/建築工事業/大工工事業/とび・土工工事業/管工事業/鋼構造物工事業/
舗装工事業/しゆんせつ工事業/造園工事業/水道施設工事業/解体工事業】
特定建設業許可番号 宮城県知事許可(特-3) 第785号(許可年月日:令和3年10月15日)
【塗装工事業】
一級建築士事務所登録番号 宮城県知事登録 第21810077号
会社沿革
1946年(昭和21年)5月 |
丸本組創立 |
1947年(昭和22年)4月 |
株式会社丸本組に改組 |
1951年(昭和26年)4月 |
宮城県知事より建設業の許可を受ける。 |
1952年(昭和27年)9月 |
はじめての公共土木工事として、日蕨川(女川町)の護岸工事を、宮城県より受注する。 |
1955年(昭和30年)8月 |
女川町より江島漁港突堤工事を受注し、海上土木工事に進出する。 |
1960年(昭和35年)8月 |
石巻市湊田町に瀝青混合所を建設し、舗装工事に進出する。 |
1960年(昭和35年)9月 |
宮城県より、宮城水産高校屋内体育館新築工事を受注し、建築工事に本格的に進出する。 |
1960年(昭和35年)11月 |
10トン吊の非航二又船(木造)を購入し、第一幸丸と命名する。 |
1966年(昭和41年)9月 |
本社社屋を、石巻市石巻赤土山下より、石巻市八幡町に移転する。 |
1976年(昭和51年)8月 |
業務の拡張に伴い仙台支店を開設する。 |
2000年(平成12年)9月 |
ISO9002 取得 |
2001年(平成13年)10月 |
ISO9001 取得 |
2003年(平成15年)3月 |
ISO14001 取得 |
2003年(平成15年)4月 |
女川営業所開設 |
2005年(平成17年)2月 |
矢本(現東松島)営業所開設 |
2008年(平成20年)12月 |
石巻北・南・建築事務所を統合し、石巻事務所開設。 |
2011年(平成23年)3月 |
東日本大震災の津波被害により石巻市八幡町の本社全壊 |
2011年(平成23年)4月 |
本社を石巻市開成に移転 |
2013年(平成25年)6月 |
石巻市蛇田に本社社屋建設・移転 |
2015年(平成27年)12月 |
OHSAS18001取得 |
2016年(平成28年)3月 |
仙台支店移転 |
創業のころ
昭和20年9月末アメリカ軍が松島飛行場に進駐し、滑走路の修復と新たに1,300mの滑走路急造のため、割栗石5万m3・砕石5万m3の調達を宮城県に対し命じた。
しかも僅か半年以内に石巻の五松山から納入という厳命であった。当時、新円が発行され経済界は大変革の時代に直面し、今後の見通しもたてられず宮城県土木部に登録されていた大手土木業者もこれに応ずる者がなかった。
県はやむなく大林組特命とし山本義一(創業者)がその下請として昭和21年5月13日からこの事業を行うこととなった。輸送は石巻~矢本間を毎日9時、11時、2時の3回指定貨物列車「10屯車(トロ)4輛、15屯車(トム)4輛、17屯車(トラ)3輛、計11輛」で行われ積み込みがなくても出発し、運賃は荷主負担というものであった。動員署(現在の職業安定所)の協力のもとに採石に経験のある者300名を動員し、石巻・稲井の採石業者と石巻に二つあった馬車組合も懸命に働き、納入を軌道にのせることが出来た。
また、その年は幸い晴天に恵まれ、進駐軍もダンプ8台にコンプレッサー車等を、毎日繰り出し、作業は順調に進んだ。このようにして、この初めての仕事は成功したのであるが、これが丸本組の始まりで、山本義一の決断の賜であった。その後、大林組から飛行場の敷地盛土工事、日本鋪道・鹿島建設から骨材納入やガソリンタンク埋設工事等の土木工事を下請けするようになったのである。
組織図